2011年11月10日

沖縄戦の集団自決

集団自決は、沖縄戦が行われた1945年3月末~6月末にかけて、沖縄県内各地で発生しました。

形態は、米軍の上陸で追いつめられた住民が、主に家族単位で手榴弾などで自殺したというのがほぼ共通しています。
自決の道を選んだ理由は、「鬼畜米英」といった当時の教育や、沖縄守備軍による事実上の投降禁止命令(1944年末)などの影響があったと言われています。
集団自決で死亡した人数は不明ですが、沖縄戦を通して1000~1万人と見解によって幅があります。
最大の集団自決は、3月末にあった渡嘉敷島の自決で、同じ日に人口の半分にあたる約320人が島内2カ所で自決しました。

各地で集団自決があったのは、証言や発掘調査から事実に間違いないとされています。政府の公式見解も認めています。

問題になるのは、「日本軍の関与があったのか」という点です。最近また問題化したのは、文科省の教科書審査会が今年3月、高校の日本史教科書について、「集団自決が日本軍による強制や誘導もあって行われた」とする点を削除するよう意見を出したためです。


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Posted by inv at 08:24